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中村六郎


「マイぐい呑のススメ」の「ブログ」として、「実践マイぐい呑」というコーナーを始めてみようと思う。 ここでは、より実践的な「マイぐい呑」の楽しみ方や、実際に楽しんでいる風景などをお伝えできればと思っている。

なるべく週1回の更新を目標にしたい。

さて、このブログの記念すべき第1号の記事として何を書こうかと悩んだが、やはり私の敬愛してやまない「中村六郎」は外せないだろう。

中村六郎は、数多存在する名人上手と言われる陶芸家の中でも「酒器の神様」と呼ばれた男だ。

中村六郎作 酒呑
中村六郎

中村六郎は、1914年2月4日生まれ 、 2004年4月11日逝去。 備前焼伝統工芸士であり、愛称は「六さん」

日本工芸会中国支部、備前焼陶友会に属した。

六郎の父親は、商売で財を成し、金重陶陽らの作家たちと親しく、当時、彼らのパトロン的な存在であったため、備前焼や陶芸に触れる機会に恵まれた。その影響があったのか陶芸家を志すことになる。 終戦までは、会社勤めをするが、1945年に金重陶陽に師事し、技術の修練を積んだ。また北大路魯山人が金重陶陽宅に来訪時には、藤原啓、山本陶秀らと共に、その技術を学び、影響を受けたと言われている。 「酒器の神様」、「とっくりの六郎」などの威名を全国に轟かせている。

自身が大酒呑みであり、ほぼ毎日、朝から仕事を終わる頃には一升瓶を空にしていたと聞く。他にも酒関連の逸話は数え切れないほどである。

ここからは、敬意を表してここからはあえて愛称の「六さん」と呼ばせていただくことにする。

六さんの作る「ぐい呑」は、酒呑み連中の心が分かっていると感じる。 この朴訥な容姿が生み出す呑む前からの期待感。

まるで吸い付くような土肌と絶妙な造形を持ち合わせ、大柄な割に手の中に収まり、不思議なくらい手の中にフィットする。 それから、六さん自身も「口造りはキッスをするように」と言っているように、見た目からは想像できないが、薄く、また優しく作られた口造りの良さに驚愕する。これは使えば使うほど、実に心持が良い。

造形、土、焼けがバランス良く融合した「ぐい呑み」や「徳利」などの酒器たち。酒器を「実用」という面から考えた時には、かの金重陶陽をも凌駕する領域に突入していると感じる。酒器に特化したある種の天才だと言ってしまっても過言ではない。 まさに「酒器の神様」である。

中村六郎 ぐい呑み

実際に使用して楽しむ陶器ファンの中には、一部強烈な「六郎中毒」を発症することがある。そのためか、六さんがお亡くなりになって10年は「六郎バブル」と呼ばれる相場の高騰を見せた。

現在は落ち着いてきているとはいえ、生前の実に5倍ほどの価格で停滞しているのである。これには正直驚かされる。自分と同じような「六郎ファン」が多くいることに喜びを感じながらも、六さんが遠い存在になってしまうような寂しさを感じてしまう。御多分に洩れず、私自身が完全な「六郎中毒」である。

おそらく、六さんに出会っていなければ今の自分はなかったであろう。筆不精の私が、このようなサイトやブログを立ち上げてしまっていることに、私自身が一番驚いている。

中村六郎 酒呑 見込み

思いつきで始めた完全な私の個人的な趣味なので、この先どうなっていくかわかりませんが、長い目で見守っていただけると嬉しく思います。

それでは、 あなたの楽しい「マイぐい呑ライフ」に乾杯。

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