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北倧路魯山人

曎新日2023幎1月23日


䞉井蚘念矎術通で開催された ナネスコ無圢文化遺産登録蚘念「北倧路魯山人の矎 和食の倩才」に出かけた。 実に有意矩であった。

北倧路魯山人の矎 和食の倩才

今回は、このあたりに有名な「あたいは矎味い」の北倧路魯山人に぀いお話しおみたい。 私の矎意識の䞭で、魯山人は異次元であり、この男こそ「唯䞀の倩才」ず蚀いたい。 矎食家だずか陶芞家だずか蚀われるが、今蚀われおいる矎食家や陶芞家ずは性質が違うず感じおいる。 魯山人の本業は、曞家であり篆刻家である。 そんな男が、食の䞖界で、䞀流の食通達を驚かせ絶賛させ、陶芞の䞖界でも、蟞退しおしたうが床は人間囜宝に遞定されるこずになるのである。

この異次元の倩才はどうやっお出来䞊がったのか。このポむントは、魯山人のずお぀もない探究心ず行動力にあるず思われる。

北倧路魯山人

魯山人は、幌少期に竹内栖鳳の日本画に憧れ日本画家を目指すが、画材を買うこずができず、それではず画材代や小遣いを皌ぐために新聞の懞賞習字「䞀文字曞き」に独孊で応募し懞賞金を埗る。 これで元手を䜜り20歳前埌に䞊京し、圓時、曞道の倧家ず蚀われた日䞋郚鳎鶎や、巌谷䞀六に匟子入りしようず門を叩くが、「隷曞は、楷曞を芚えおから」ず蚀われ垫事せず、独孊で孊び「千文字」を隷曞で展瀺䌚に出品し「䞀等二垭」を受け、それだけではなく、圓時の宮内倧臣が買い䞊げるずいう快挙を成し遂げる。 その埌、岡本可亭岡本倪郎の祖父に垫事し、24歳で独立し曞道教宀を開きながら、版䞋曞きの仕事をする。 27歳から曞ず篆刻を極めるために朝鮮や、満州、䞭囜各地を回る。 30歳頃、憧れの竹内栖鳳や、暪山倧芳などの萜欟印を䜜成する。 この頃、内貎枅兵衛ず出䌚い叀矎術収集や矎食に圱響を受ける。 その埌、现野燕台に居候し、染付や赀絵などの陶芞を孊ぶ。 33歳で神田に「叀矎術鑑定所」を立ち䞊げる。 この頃、䞭村竹四郎ず出䌚い、36歳で竹四郎ず共に京橋に「倧雅堂矎術店」を創業する。その埌、叀矎術品を売るために商品に料理を盛っおもおなす。 この料理が評刀になり、38歳の頃、倧雅堂の階で䌚員制の「矎食倶楜郚」を始める。 40歳の頃に関東倧震灜の圱響をうけ倧雅堂が壊滅的被害に遭い焌倱。しかし、芝公園内の「花の茶屋」にお矎食倶楜郚を再開。関東倧震灜の教蚓をもずに矎食倶楜郚で䜿う噚を骚董から、自ら補䜜する方向にチェンゞさせ、補䜜を任せた東山窯にお圓時工堎長であった荒川豊蔵ず出䌚う。 そしお、42歳であの䌝説的料亭である「星岡茶寮」を開店させるのである。

星岡茶寮

この蟺りからは、皆さんの知る魯山人になっおいく、たるで「わらしべ長者」のように、その時必芁な物が䞁床いいタむミングで登堎しおいるようにも感じるが、この時点たでに異垞なたでの探究心ず行動力が芋える。 オヌプンキッチンに癜い割烹着、料理は「枩かいものは枩かいうちに、冷たいものは冷たいうちに提䟛する。」 今では、ごく圓たり前のように思えるが、圓時の料理屋にはなかったこずで、これらは党お魯山人が考案し始めたものである。

星岡茶寮 田舎家

食材の旬は倖さず季節感を倧切にし、食材の持ち味を掻かす事を考え、たた、お客䞀人䞀人の奜みを把握し、その奜みに合わせたアレンゞをしおいたず聞く。

「俺の料理を食え」ずいう姿勢では決しおなく、謙虚で现やかな「おもおなし」を重芖したのだ。矎食家で傲慢であったずされる魯山人のむメヌゞずは皋遠い。 玔粋に矎食ずは䜕かを探究した結果の答えがそこにあり、 「暑い日に倖回りしおいた人には、䜕よりも䞀杯の冷たい氎が矎味い」ずか「採っお数日経っおしたった倧根を料理人が、あれやこれや調理するより、今朝、畑から倧根を採っおきお「倧根おろし」にしお醀油でもたらし、その日の朝食で食べた方が矎味い」など垞識にずらわれない自由な発想があった。これは䟘茶の粟神に酷䌌しおおり、倧げさに蚀えば、魯山人は近代日本における料理界の千利䌑ずも蚀えるのではないかず思うのである。 これにより、料理人の地䜍を抌し䞊げるこずになり、今では、料理人の地䜍は決しお䜎いものではなくなっおいる。

蟹絵向付

陶芞では、土を掻かすこずを優先し、小手先のテクニックを䜿うわけでもなく、矎の本質ずは䜕んであるかを远求した。その圱響力は匷く、荒川豊蔵を始め、川喜田半泥子、金重陶陜、藀原啓、藀原雄、山本陶秀など、名だたる陶芞家が圱響を受けおいる。

本圓に良いものずは䜕か、矎しいずは䜕かを考えおいるように思える。䞖の䞭で評䟡されおいるものが必ずしも本圓に矎しいものずは限らないずした。

魯山人は、長次郎より本阿匥光悊、光悊よりも尟圢也山ずいった独自の䟡倀芳を持っおいるが、これはどちらがより芞術的であるかずいう刀断基準で、どちらが歎史的䟡倀があり高䟡であるずいう䟡倀基準ではない。

ただただ逞話やら盛りだくさんで、飜きない男だ。魯山人を語りだすず止たらなくなる悪い癖が出おしたったようだ。 では、マむぐい呑のススメずしお䜕を蚀いたいのかずいえば、この「探究心ず行動」が倧切であるずいう話をしたい。 魯山人を芋おいるず、自ら行動し䜓隓するこずによっお、知識や技術、審矎県を磚いたのだず感じるのである。 私が、今回の展瀺䌚に足を運んだのは、「蜆蜀は匕かずずも、陶工が蜆蜀匕きした皿を、魯山人が指先でひず捻りしただけで、それはもう魯山人の䜜品になっおしたう」ず蚀わしめた、魯山人の矎意識に少しでもあやかり、これからも良き噚ず出䌚うためのヒントを埗る研究なのである。 「目を逊うには本物良いものしか芋ないこず」の実践である。

たた、党おのこずに察しおもそうであるが、行動しお䜓隓するこずによっお、初めお埗るものが非垞に倚く、この䜓隓ほど確かで正しい答えはないのだ。 私自身、「なぜぐい呑を持ち歩くのか」ず問われるこずも倚いが「楜しいので、ぜひやっおみおください」ずしか答えようがない。 ぐい呑遞びにおいおも、最埌は䜿っおみないず良いか悪いかなぞ解らない。これが難しくもあり楜しくもあるのだ。 「癟聞は䞀芋に劂かず」であり「癟芋は䞀觊に劂かず」なのだ。ぜひ、あなたも行動し䜓隓しおいただきたいず、切に願うのである。 それでは、あなたの「マむぐい呑ラむフ」に也杯

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